パリの専業主夫 -3ページ目

キノコのクリームパスタ~アートたるゆえん~

 タイトルが平凡だからと侮ってはいけない。僕はこのパスタほど作るのが簡単で、かつうまいパスタをいまだかつて食べたことがない。

キノコのクリームパスタ


 しかも、今日作ったのはこれまでの中で最もうまかった。ソースの味の加減もパスタの茹で加減も。おかげで食べ過ぎて胃がもたれているけどね。


<レシピ>(量はそれぞれ目分量、好み次第で大丈夫でしょ)
・キノコ類いくつか
(何でもよい、シイタケ、マッシュルーム、エリンギ、ポルチーニ、シメジなどあるものを複数)
・にんにく
・唐辛子
・生クリーム
・オリーブオイル
・しお
・コショウ
・パスタ


<手順>
1)キノコをみじん切り
2)にんにくをみじん切り
3)唐辛子を2つか3つくらいに切る
4)鍋にオリーブオイルを敷いて、にんにく、唐辛子を少し炒める
5)にんにくの色が変わったらキノコを入れ、塩コショウで味を付けながら炒める
6)キノコに火が通ったら、生クリームを入れ、一煮立ちさせる
7)茹でたパスタに6)のソースをかける

※ちなみにミキサーがある場合、ある程度切ったキノコを炒めた後、ミキサーにかけるとさらにダシが出る。


 パスタというとやっぱりパスタそのものの質も重要。よく聞くが僕も「デ・チェコ」がいいと思ってる(http://www.nisshin.com/product/de_cecco/ )。もちもちしてこれだけでもうまくて癖になるね。


 このキノコのクリームパスタのうまさは何かと言うと、キノコとクリームのアルモニ(ハーモニー)なのだ。調和するくらいだから、そもそも、互いに異質なもの同士がいい具合に混ざり合って新たな価値を生み出しているということ。ここでは、キノコの苦さ、香ばしさとクリームの甘さ、とろみとが本当にマッチしていてうまい。この種のフュージョン、コンバージョンは料理の世界以外にも、言葉、音楽、色、映像、アイデア、そして人間同士の間で思わぬ奇跡を生み出し、人はそれをアートと呼ぶのだ!



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「吸ったら死ぬべ」という覚悟~フランス版タバコの注意書き~

 「吸ったら死ぬべ」


こんなにストレートでいいのかね。


欧米ではタバコの注意書きの表現が日本よりキツいというのはある程度知っていた。「死」という言葉を直接的にパッケージに表示するなどは聞いていたし、2004年10月にはEU欧州委員会がタバコの害を警告するために、肺がんで黒ずんだ肺の写真など生々しい写真を作成してパッケージに貼付するよう各国に呼び掛けている。


 日本でもJTが2004年11月に注意書きの表記を変える旨を発表している(http://www.jti.co.jp/News/04/NR-no24/no24.html )。それ以前は、


「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」
「喫煙マナーをまもりましょう」


などの表現だが、この発表以降、


「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。疫学的な推計によると、喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者に比べて約2倍から4倍高くなります。」
「妊娠中の喫煙は、胎児の発育障害や早産の原因の一つとなります。疫学的な推計によると、たばこを吸う妊婦は、吸わない妊婦に比べ、低出生体重の危険性が約2倍、早産の危険性が約3倍高くなります。」


など、具体的にタバコと不健康との因果関係を示す8種類の文言に順次変更されているという。


実は私は約2年前にタバコを止めた。でも、それは健康のためということともう一つ、葉巻を始める口実を作るためでもあった。そう。実際には、もともと葉巻に関心があり、でも本当に紙タバコと葉巻とを同時にスパスパ吸うお金などないので、葉巻を始めるとしたら紙タバコを止めよう、そして葉巻をあらゆる神経を研ぎ澄まし集中して味わう尽くそう、そう思って紙タバコを止めた。何で葉巻を始めたんですか?と聞かれたら、面倒くさいので「葉巻は高いし、味がキツいから、通常の紙タバコほど頻繁に吸えないでしょう。」と言って健康に配慮した素振りを見せておきながら、実は葉巻を味わうのが目的なのだ。


葉巻がいかに面白いかは後日書くことにする。葉巻が面白いのはいいのだが、まずいことに最近ブログや執筆やらで「書く」作業が増えてきた影響でどうしても通常の紙タバコがスパスパ吸いたくなってしまい、「TABAC」に何度か駆け込んでしまった。ここではタバコが健康に与える影響を議論するつもりはなく、その買ったMarlboro Lightに貼付されている注意書きの文言を(フランス語のお勉強がてら)ご紹介する。上述したように日本でも注意書きにバリエーションが出てきているが、フランスでも冒頭の文言の他にいくつかバリエーションがあるのがお菓子の景品みたいで面白い(面白がっちゃだめだろ)。


 「喫煙は喫煙者の健康と周囲の・・・」

「喫煙は喫煙者の健康と周囲の人の健康に重大な害を及ぼします」


「喫煙はお肌の老化を招きます」

「喫煙はお肌の老化を招きます」


 「喫煙を止めれば死に至る心臓病や・・・」
「喫煙を止めれば死に至る心臓病や肺病のリスクが減ります」


「喫煙を止めれば死に至る心臓病や・・・」

「喫煙はじっと~り緩慢で、きっつ~い苦痛を伴った死を招く恐れがあります」

(この訳には相当、文学的感性が必要。誰か訳して。)


「喫煙には強い依存性があります・・・」
「喫煙には強い依存性があります、これから始める人は諦めて、残念」


いかがでしょう。だんだん意訳になって来たものの、大意は間違っていないと思いますよ。


いずれにしても、タバコを吸う行為とは人間の他の快楽と同様に「死」を賭けてやることらしい。ということは「依存症」で、禁断症状の勢いで、何となく、気分転換に、などという生半可な気持ちで吸ってしまうことは許されない。紙タバコにせよ、葉巻にせよ、ひとたび吸おうと思ったら、他人に影響しない空間で「死」を賭ける緊張感や覚悟をもって吸う、自分の感覚をコントロールできる範囲で思いっきり味わうのがタバコと向き合う態度だと僕は思っている。それができないなら吸っちゃダメじゃないかな。酒は飲んでも飲まれるな」と同じ理屈だね。


あ、俺さっき、禁断症状で「TABAC」に駆け込んだ、って言ったよね。やっぱり、紙タバコ止めよ。



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パリで手巻き寿司~対独勝利60周年の日に~

 パリでこんなにうまい手巻き寿司が食えるとはね。


 首尾は上々。前日ベルギーから日本人の友人が車で来ていた。当初の趣旨はもちろん久しぶりに再会して旧交を温めることだった。家で何をご馳走しようかと考えていた。僕らは日本で食べるものと言えば肉より圧倒的に魚が多く、しかも夫婦揃って生魚好きだ。パリに来てから肉が続いていた食事に辟易し始めていた。僕らには車がないのだけれど、そこに友人が車でやってくるという。あ!と思いついたのは、鮮魚を売っているマルシェへ行くことだった。友人も二つ返事で、炊飯ジャーと魚沼産最高級米を持参してくれた。そうなんだよね。まだうちには船便が届いておらず、炊飯ジャーがないので、米さえまともに食えていなかった。そんな思いつきといきさつで、近所の日本人夫婦も交えて、5人で手巻き寿司パーティが開かれることになった。


 もちろん、近所のMonoprixなどのスーパーにも魚屋があり、それなりの魚は置いてある。先日、Monoprixで買ったBar(スズキの一種)を焼いて食べたときはうまかった。ただ、生食を前提しないカルチャーの中で、スーパーの魚をなかなか生では食べたくないよね。寿司ネタとして食すレベルはやはり相当に新鮮なもの。以前奥さんがパリに滞在していたときにベルサイユに鮮魚が手に入るマルシェがあると聞いていて、そこまで行くにはやはり車があった方が便利だと思っていたのだ。


 マルシェの場所はベルサイユ宮殿に程近く、RER線のVersaille Rive Gauche駅とSNCF線のVersaille Rive Droite駅とのちょうど中間あたりに位置している。両駅からも十分歩いていける距離にある。広場を囲む建物に常設されている魚屋が5件あり、日曜日には内側の広場に八百屋などの市が立つ。ブルターニュやノルマンディーから直送されていて、パリの寿司屋もここで仕入れることがあるという。

 ベルサイユ・マルシェ(広場) ベルサイユ・マルシェ(魚屋)


 僕らが寿司のネタとして買ったのは、マグロ(Thon)、サーモン(Saumon)、ホタテ(St.Jaques)、タコ(Poulpe)、イクラ(Ouef de Saumon=サケの卵)だった。マグロ、サーモンは普通に切り身にして、ホタテ、イクラはそのままで、ネタとして出した。イクラは塩漬けなので日本にあるようなしょうゆ漬けではないので少し濃い目の違った味だった。タコは生では食べにくく茹でてマリネにした方がいいと店のおじさんが教えてくれたので、セロリやハーブとあえてマリネとして出した。写真の値札を見てもらっても分かると思うがこの辺りの魚はイクラ以外、やっぱり破格に安いよね。

マグロ  サーモン

 ホタテ ゆでだこ


 で、ベルギービールのLeffeやChimayの黒ビールで乾杯。最初にタコのマリネをオードブルとして取り分け食べ始めたあと、いよいよ手巻き寿司を各人が取りに行く。我が家のダイニングテーブルがみんなの皿を並べただけでキャパオーバーだったので、手巻き寿司をするときにはネタの置いてあるソファーの肘掛けまで行かなければならなかったが、それがかえって良かった。各人が手巻きをする行為が一々際立って話のネタになり、貴重なご飯をこぼしてしまい咎められたり、のりが大きすぎると思ったので小さめにちぎったのはよいが具を取りすぎたため結局のりが足りなくなってからかわれたりと飲み会、パーティらしい雰囲気に。そして今日は肌寒かったものの、底抜けに天気がよかった。

 ベルギービールなど ネタ


 食べ始めた各人は一同に顔を見合わせた。沈黙のあとネタを賞賛する声が次々と出て止まらない。ということは僕らは無意識に高をくくっていたところがあったのだ。「フランスで買った生魚だから味や食感は日本のようにはいかないだろう。同じ程度に食べられれば御の字だ」と。ところがまぐろは中トロまではいかないまでも赤身よりもトロの部分が多く含まれていてとろける感じが再現できていた。また特に圧巻だったのはサーモン。日本のサーモンもうまいが、これはある意味、それを超えてしまっている。油が非常に乗り切っていてサーモンのトロのような印象で本当にうまい。醤油皿には例のごとく油が浮いていて何だか嬉しくなった。


 今日は完全にネタを買い過ぎていた。全員がもう食べられない、という頃になっても、ネタがまだ半分以上残ってしまった。まぐろもサーモンもそれぞれ2-3切れを買っていたのだが、5人には多すぎたらしい。ということで、お持ち帰りということで各人に持って帰ってもらった。別れ際にはこれを定期的な会にすべく約束してみんなと別れた。


 気が付けば今日はVictory Day(対独勝利60周年の日)。戦争から60年経っても中国・韓国では反日運動が最近盛んになり、韓国では「刺身」「寿司」など日本オリジンの言葉を韓国語に直そうという運動まであるようだ。言葉は確かに社会で重要な役割を担い、政治的な意図を反映させたり、民族意識を高めたりするのに利用されることもあるし、逆にそのような政治的なしがらみに反抗する力になりうることもある。葉はややこしいからこそ好きでもあるけれど、音楽や料理の前では沈黙する。上記のような反日の動きも一時的なもの、一部の集団の動きだと僕は信じている。外国で刺身や寿司を食べて顔が緩んでいる外国人を何人も見たことがあるように日本の食文化は相当に各国に浸透している。刺身や寿司の呼び名がたとえ完全に変わってしまったとしても、彼らの味覚が変わらない限り、刺身や寿司を食べずにはいられない。それで日本に思いを馳せたり、仕入れて握ってくれた日本人の板前に感謝する外国人が少しでもいれば僕は心配ないと思っている。中トロを前にして「そんなヤボなことを言うな。」とつぶやいている韓国人もきっとどこかにいるはずである。




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「ブリコラージュ」的生活のすすめ~ブリコラージュ体験記~

日本で賃貸アパート/マンションに住んでいる人にとって、「日曜大工」なんてハナから頭にないはずだ。もちろん「日曜大工」といって小物を製作するにあたって、材木をのこぎりで切ったり、せいぜい壁に金づちで釘を打ちつけたりするくらいはできるだろう。しかし、壁のひび割れを直したり、お風呂のシャワーを取り替えたり、ましてや壁紙を交換したり、壁の色を塗り替えるなど、日本では言語道断だ。訴訟沙汰にさえなりかねない。


しかし、フランスの賃貸アパルトマンではむしろ、上記のような日曜大工(Bricolage、ブリコラージュ)が許されることの方が多い。自分が入居した途端に、自分の好きなように壁紙を貼り替えたり、壁をペイントしたりし、人によっては壁を取り壊して間取りを変えてしまうこともあるらしい。もちろん、事前に大家さん(Proprietaire)に相談して許可を得るなり契約書にその旨記載するなりの必要はあるが、アパルトマンに入居する段階ですでに前の入居者が部屋の壁をペイントしてそのまま、っていうケースさえある。


 そもそも「ブリコラージュ」には「修繕」「寄せ集め」などという意味があったらしいが、哲学者・民族学者のレヴィ=ストロースがこの言葉を自分の神話分析の方法論に援用した。その際「ブリコラージュ」という言葉には、さまざまな場面で取っておいた互いに異質な断片をそのときどきの目的に応じて構成し直して完成に導くこと」というような意味が加わっていったようだ。これは非常にフランスの生活感を象徴しているように思える。一度使用したモノを大切にし、人や環境、シチュエーションに合わせてそれらを再構成して再利用する。フランスのアパルトマンに家具付きが多いのも同じ考え方によるものだろう。ただの古いモノを取っておくだけの貧乏性ではない。そこに自分らしさを忍ばせる知恵や違う環境に適応させる応用力などが必要になるはずだ。日々、トレンドを追って買い換えを強いられ、粗大ごみが廃棄されていく社会とどちらが本当の意味で豊かで自然だろう?ちなみに、今やっているブログにおいて人がリンクやトラックバックを通じて情報をある目的に向かってまとめようとしたり、理解しようとしたりする際のやり方やマインドもこれに通じるところがあると思う


 今、日本ではたまたま“ブリコラージュ”をテーマにした展覧会: きのうよりワクワクしてきた。」ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者たち が大阪で開催されているようだ(6月7日まで)。


 ところで我が家。実は昨日まで2日かけて、新居の壁をペンキで塗り替えていた。では、突然ですが、みなさんはご自宅を塗り替えるとしたら、以下のパターンのどれにしますか?もちろん、このうち今僕がいる部屋はどれかに相当します。


パターン1 パターン2

パターン3 パターン4  

お分かりの通り今回塗り替えたのは、壁全体ではなくて、ドアとその周辺の縁部分のみ。つまり、以前の入居者が壁全体の色を黄色に塗り替えていた。もちろんそれをすべて塗り替えることもできたが、意外と黄色が気に入ったし、それをベースにいかに印象を変えるかが問題だった。


 作業そのものはおおまかに3段階に分けられる。

1) マスキングテープ貼り。

2) 下塗り。

3) 本塗り。


 2)3)のペンキが乾くまでそれぞれ6時間かかったので、1)3)でトータル2日かかった。ただし本来、下塗り用のペンキ、本塗り用のペンキなどあるようだったし、ペンキにアクリル、レーキ顔料(LAQUE)のような種類があり、それらによっても質感が変わってくる。僕は粘着性の高いレーキ顔料のペンキを普通に2度塗りした。


で、僕らが選んだドアと縁のパターンは


パターン1



















・・・というのはあり得ない!。実はこのパターン1が前の住人の趣味だったらしく、僕の入居時はこの色だった(下の写真)。そもそも、このショッキングな色だったことが入居してからまず部屋のペインティングをやろうと思った最大の理由だったのだ。前の住人はどんな精神状態だったのだろう。。

 BEFORE


今回はご近所の日本人のある奥様に手伝っていただいて、二人で作業をして下のように塗り替え作業をしていったのだ。

 マスキングテープ貼付 下塗り

 本塗りAFTER  


ということで僕らが選んだのは、


パターン2


でした。いかがでしょう。したがって利用したペンキの色はホワイトとブラウン。二人ともブリコラージュは全く初めてだったので、手はペンキでベトベト、危うくペンキの缶をひっくり返しそうになったり、ハケを床に落としそうなった(実際落とした)ことは何度もあった。手を付いた場所がネバっとしたのでしまった!と思って、よく見るとマスキングテープの粘りだったのであーよかったと安堵して、もう片方の手をついた先がペンキだったりしたことも・・・。でも、純粋に塗るっていう快楽は十分味わいましたよ。


僕は白い壁をベースにブルーの縁取りをした地中海風情の部屋が好きなので、全く何もない状態だったらそのような部屋にしただろう。でも、ここはパリ近郊。冬は零下になり、建物に冷房設備を常設する必要のないほど夏は涼しい。前の住人があのようなどぎついドアの縁取りをしたのには納得いかないが、壁の基調をイエローという暖色にしたのにはそれなりのわけがあったように感じた。あるものを利用しながら自分にあった様式に再構成する。それが本当の「ブリコラージュ」じゃないだろうか。



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豚肉の梅肉重ね~薄切りに賭ける肉屋との闘い~

 そろそろ日本料理が欲しくなったので、日本食材店で買ってきた調味料や梅干を使って作ってみた。例によってかなり簡単。

豚肉の梅肉重ね  


<材料>
・豚の薄切り
・長ねぎ
・しそ
・梅干し
・酒
・しょうゆ
・みりん


<手順>
1)梅干から種を除き、梅肉を包丁で叩く。
2)しそを粗みじん切り。
3)梅肉、しそ、酒、しょうゆ、みりんを混ぜてタレにする。
4)ねぎの白い部分を千切りにし、数分水に浸してから水を切る。
5)ねぎの緑の部分も取っておき包丁の腹でつぶす。
6)豚の薄切りの表裏全面にタレをつけ、重ねていく。
7)少し深さのある皿にねぎの緑の部分を敷き詰め、その上に6)の豚肉を載せ、ラップをする。
8)電子レンジで6-7分加熱。
9)豚肉を食べやすく切って盛り付け。その上に蒸し汁を掛ける。周囲にねぎの白い部分を添える。


 ここではあえて、「しそ」と書いたのだけど、もちろんこっちではしそなど手に入らず、今回も実際にはしそは使っていない。だから、味はいまいちしゃきっとした感じがなかった。近所の日本人の奥様が日本に帰国した際にしその種を買ってきてこっちで栽培しているので、それが育ったときにはお裾分けさせてもらって、たっぷり使おう。


 それと、豚肉の薄切りがこちらではなかなか手に入らないようだ。日本のようにスーパーで薄切りをパックでは売っておらず、たいてい固まりか厚切りのまま売っている。豚の炒め物などの料理だったら、特に薄切りではなく、ぶつ切りでもいいのだが、今回の料理はやっぱり薄切りがいい。


 こちらで薄切りをしてもらうには、丸い刃の付いた薄切り用の器具のある肉専門店(Bucherie)かある程度のマルシェに行く必要がある。Monoprixなど通常のスーパーや小さいマルシェではなかなかしてくれた試しがない。で、こちらで豚を薄切りにしたいときは肉屋のおじさんに向かって下のように言ってみよう。


Vous pouvez couper le porc en tranches minces?
(ヴ・プヴェ・クペ・ル・ポー・アン・トランシュ・マンス?:豚を薄切りにしてもらえませんか?)


 その後、おじさんが「Oui」と言って、大きいカッターで切り出したら成功!それでも、おもむろに豚のかたまりを分厚く切り始めたら、その瞬間、今日のメニューを変えましょう。



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ゆで過ぎたパスタの再利用

タイトルの「ゆで過ぎた」には2つ意味があるね。一つはアルデンテの反対でゆでる時間が長すぎたという意味、もう一つは食べる人数より多めにゆでてしまったという意味。ここではどっちの場合も対応できる。


答えはこれまた簡単で、野菜スープに入れちまう、ってこと。


まず、野菜スープほど簡単なものはないよね。ゆでたお湯にチキンブイヨンを入れて、好きな野菜を放り込む。これは普通にうまいよね。最初からでもいいし、あとからでもいいけど、このスープにゆで過ぎたパスタを包丁でこまかく切って入れればいい。


 鍋にパスタを放り込む・・・ 器に盛る


パスタが伸びていようが、多少古かろうが、全然気にならないよ。僕もゆでてから余った分を冷蔵庫に保存して2-3日後に食べたから。


実は、先日奥さんの会社の人を家に呼んだときに、パスタを余らせてしまった。いやね、2人分のゆでる量なら慣れているので、検討がつくんだけど、それ以上になる途端に量が分からなくなって・・・。


これぞぶっつけ料理魂だな。リカバーしたので、失敗ということにはならないんだよー。



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「フランス人=冷たい、日本人=丁寧でやさしい」は間違いと言い切ろう

実際に上記のイメージは日本人の旅行者の間に定着していないだろうか?


確かに、僕はフランスに本格的に移住してきて、まだ2週間あまりしか経っていない。早々にフランスにかぶれたか、なんて感じる人もいるかもしれない。でも、僕は7-8年前から何回かフランスを訪れたときに感じた印象をこのフランス滞在でもさらに強くしているのだ。「フランス人は一般に言われるほど他人に冷たい人たちではない」という印象を。


この手の文化論はなかなか難しいところがあって、どのようなサンプルを取り、どのような場面を比較するかによって、また観察者がどのような立場にいるかによって、その内容や信憑性が大きく変わってくる。僕はこの「場面」「観察者の立場」が「フランス人=冷たい、日本人=丁寧でやさしい」というイメージにも深く関係していると考えている。


僕がこんなことをすぐにここに書こうなんて思ったのもパリに来てから「フランス人って意外といいやつじゃん」みたいなことを実感した場面がいくつもあったからだ。「フランス人は一般に言われるほど他人に冷たい人たちではない」という説を説明する例はいくつも挙がる。


(1)電車やスーパーなどで体や持ち物の一部が相手にぶつかったら必ず「Pardon」(ごめんなさい、の意)と言う。
(2)満員電車で自分が出口から遠くにいる場合、必ず「Pardon」と少し大きい声で言いながら、前の人がよけるのを待って降りてゆく。よける方も普通によける。
(3)バスや電車では(僕が見た限り)どんな階層や人種の人も高齢者や子供連れに必ず席を譲る。
(4)街角で知らない人同士が気軽に会話を交わす。たまに世間話まで始める。


などだ。(1)などは試しにわざとぶつかって実験してもいいくらいだ。必ず、謝ってくれる(もちろん、こっちも謝ってね。)(2)これもかなりパリでは一般に共有されている行動パターンだね。(3)はどんな悪ガキそうに見えるやつでも、どんな肌の色をしている人でも、高齢者や子供連れに対しては気をつかっている。パン屋で並んでいるときに前にいたおばさんが後ろの方でまだパンを選んでいた子供連れの若い奥さんに対して「先に行きなさい」って前を譲っていた。それに対して若い奥さんは「そんな悪いわ、いいですよ。えー、何てやさしいの」って感動していた。(4)は道を訊いたり、メトロで席が隣になったり、バス停で待っていたりしている人が、質問などをきっかけにお互いの個人的なことを話し始める場面をよく見た。


(1)~(4)までのことに関して「今の」日本で、特に首都東京や各大都市と言われる街でどうなのか、考えてみて下さいよ。僕は最近まで東京に暮らして毎日、品川区から大手町近辺に通勤してたけど、このような行動様式は「もう」日本(東京)にはほとんどなくなって来ていると言ってもいいんじゃないかな。はい、じゃ、東京は・・・


(1)⇒よほど転ぶなどの大きなダメージが相手にない限り、何事もなかったかのように何も言わずに通り過ぎる。あるいは、自分がムカついたときだけ俳優バリに一瞬振り返りにらみつけたあと通り過ぎる。
(2)⇒とりあえず直前にいる人に体でぶつかりながら無言で降りる(たぶん、直前の人が急にいなくなれば、一人フライング・ボディ・アタックだな、これは)。
(3)⇒信じられないけど、びっくりするくらい席を譲らないね。この間、優先席でイチャイチャしている20代のカップルが、お年寄りが前に立ってるのに席を譲らない上に、二人して眠り始めたからね。上からヨダレたらしてあげようかと思ったよ。また、昔、汗を流して立っている妊婦の前で深い眠りに陥っているおっさん、など目撃情報はあとを立たない。。
(4)⇒「知らない人とは口をきいてはいけません!」っていうママの教えをみんな大人になるまで忠実に守っているらしいね。


ま、ここまで書いてきたけど、それはそれ。日本の今の現状。しょーがない。僕も別に「みなさんマナーを大切に」と公共広告機構みたいなことを言いたいわけじゃない。僕が言いたいのは「アカの他人と直接触れ合う感覚やちょうどいい距離感」を日本人が喪失し始めている、っていうこと。


簡単に言えばこれって、江戸の「粋」だったり、義理・人情だったりに通じること。それがなくなるって普通にヤバイ気がするけどね。文化レベル、生活の質、普通に低くなってるでしょ、はっきり言って。


でも、こういう経験ありませんか?電車でおばあさんに席を譲った。その後、おばあさんに、「いやー、この間孫がねぇ」とか言って身の上話をされたり、電車を降りるときに大きな声お礼を言われたり。これって今の中年以下くらいの人の感覚だと、結構うっとうしいとか、恥ずかしいとか感じてしまいませんか?僕もそうでした。。ただ、確実にある時代以前には存在した会話の仕方だったんだろうね。公の場でアカの他人と大声で世間話できるような風情のようなものが。(もちろん、キャラにもよりますよ)。


ここで冒頭の「場面」や「観察者の立場」の話に戻る。「フランス人=冷たい、日本人=丁寧でやさしい」のイメージって、やっぱりフランスのレストランやスーパーでウェイターや店員に冷たくされたインパクトが、旅行者や短期滞在者に強く残るために定着したものじゃないかな?もちろん、ブログに先週書いたAuchanでのような体験 をすると、店員から嫌なイメージを最初はもつけど、こっちの人はそれが普通だから悪いことをあえてしている、っていう感覚もないんだよね。だから、しばらくすると慣れてしまう。一方、上に書いたような東京のダメなところって、ずっと住んでいても慣れないし、いちいち気になるよね。。


いかがでしょう?ご意見、異論・反論などあったら教えて下さい。



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ぶっつけ料理。成功率は・・・

日々作る料理としては簡単で早くできてうまいものを、と僕は考えている。

(ま、人を家に呼んで、もてなすときも実はそうなんだけど・・・)


料理は東京にいるときも少しやってたけど、奥さんの方が手際がよかったので、皿洗いに徹していた。パリに来て、ようやくその腕前の封印が解かれることになった。今のところ、僕の「ぶっつけ成功率」は95%ほど。サッカー・プレミアリーグ・チェルシーのチェコ人ゴールキーパー、ツェフのセーブ率を軽く上回っている(たぶん)。悪かった5%の記憶はもうないな・・。


元ネタはありありだ。市販のレシピ集、インターネットでもあるよね。でも、このレベルのものは、権利云々言われるほど、大したレシピじゃないし、いろいろなバリエーションが考えられるから、ここで紹介してもいいでしょ。


今日は「チキンのプロバンス風」。そうか。簡単で手軽な料理と言うと、オリーブオイルを使ったイタリアンを思い浮かべるけど、オリーブオイルを使っても「プロバンス風」と言ってしまえば列記としたフレンチになるんだね。


フランスパンと。 アップで。  


画像を見ただけでも、レシピ、作り方が分かるよね。説明する必要もないくらい。でもする。


・鳥のもも肉(骨付きでも、ぶつ切りでも)

・黒オリーブ

・にんにく(皮付き丸ごと)

・オリーブオイル

・塩、こしょう

・ローズマリー


手順は、

1)鳥に塩、こしょうで下味をつける

2)鳥を表面に焦げ目の付く程度までオリーブオイルで焼く

3)大き目の鍋に焼いた鳥を入れ、黒オリーブ、にんにく、ローズマリーを加える。

4)鍋にオリーブオイルを多めに加え、中火でよく蒸す。

5)盛り付けのときに、飾り用のローズマリーを添える


これでせいぜい30分だね。うまいよ。で、テレビでチェルシー戦でも見ながら食べて下さい。ツェフがゴールをセーブしたら、これまたうまさも増す



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2005-06年シーズンUEFAチャンピオンズリーグ決勝会場がパリに!

 僕はこのこと1点をとっても運がいいと言える。来季のUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)の決勝会場がパリ近郊・サンドニにあるスタッド・ド・フランスで行われることになった のだ。


 スタッド・ド・フランスとは、1998年のワールドカップ・フランス大会のために建設されたスタジアムで2003年のコンフェデレーションズ杯(カメルーンのMFフォエが試合中に倒れ亡くなる事故があった大会)の会場としても利用された。


France VS Cameroon1 France VS Cameroon2


 今シーズンのCLも熱い戦いが繰り広げられているが、何せまだサッカーのライブ中継をするCanal+などの有料チャンネルを契約をしていない(フランスの銀行口座や固定電話の電話番号がないので契約できない)ので、CLの試合はCanal+の乱れた映像を目を細めて見ながら、インターネットの文字中継で経過を知るという状況に、ストレスが溜まる。


 ちなみに、このCanal+の乱れた映像は日本のWOWOWの乱れた映像に比べると少しだけ鮮明に見えてしまう。音声は全く聞こえないが、選手さえ知っていれば、今誰がボールを持っているかまで分かるのだ。もちろん、ゴールシーンもすぐに確認できる。だから、ゴールの瞬間、ちゃーんと見えていることを周囲(奥さんのみ)にアピールすべく、大声でゴールだと叫ぶんだけど・・・虚しいね。


来季のCLの頃にはそんなことはあるまい。契約すべき有料チャンネルなどをインターネットで選びながら、決勝は必ずサンドニに見に行くと心に誓っている。



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スーパーのレジでのドタバタ~「え?俺が?」~

C'est Combien?」(セ・コンビァン、「これいくら?」の意)


とあるスーパーのレジにて。モノを売っている店では頻繁に聞かれる言葉だとお思いだろう。でも、これは僕が店員に訊いた言葉ではない。店員が僕に訊いた言葉なのだ。


当然、はぁ?とア然。もちろん僕が値段を覚えているわけないだろう、というのもあったし、そもそも何でおまえが俺にそれを訊くか?というのもあった。


「知るか!」


とは言ったものの、まだケゲンそうな顔を続けた挙句、この一言。


「じゃ、値札をちょっと持ってきて!


ここは最寄駅Pont de Neuillyから2駅のラ・デフォンス。パリの中心地からメトロで10-15分程度行ったところに現れる新凱旋門を中心とした商業街だ。そこに「Auchan」(オーシャン、http://www.auchan.fr/ )というハンパなく馬鹿デカいスーパーがある。たとえるなら、ダイエーやイトーヨーカドーの店舗面積や品揃えを数倍にした、食料品から日用雑貨、家電製品、CDまで取り揃える郊外型巨大スーパーだ。

Auchan@LaDefense  

最近は、もう新居に移れるということで家財道具を揃えるべく、Monoprix(フランスの街角によくあるごく一般的なスーパー)やAuchanで買いしに出かけている。奥さんは渡仏早々の今週から仕事が始まったので、フランス語が未熟な僕が買出し係。


上のセリフはそんな雑貨をいくつも買い、レジを通過しようとしたとき言われたものだ。問題となった商品は、金属製の棚だったが、こちらではこのような日用雑貨の商品自体に普通、値札は付いていない。確かに、陳列棚で値段を確認するくらいはわけないのだが、商品が置いてあった場所が悪かった。レジのあった場所から最も遠い、店舗の端っこだったのだ。端から端まで100M以上はある巨大スーパー・・・。


通路の最後が見えません・・・


ご存知の通り、夕方、レジの後ろには5-6人の列がある。仕方がない。みんなの注目を浴びる中、一走りした。場所は覚えていたので、値札は問題なく取って来られたが、走りながら僕は、「フランスの習慣では販売者と購買者とが完全に対等の立場にある」といつか聞いた言葉を思い出し、噛み締めていた(T_T)。「対等、タイト、タイト・・」と呟いていたら、レジに戻ってきていた。


そこでまた、ハッとなった。ここのレジはカウンターが一列に15台近く並んでいる。自分のいたレジが分からないのだ!何で俺はおよその位置を確認しておかなかったのだろう・・・と思っていると、遠くの方で何やら手を振る人たちが!


ライトの下にレジがあるので15台以上か・・・


僕に指図した女性店員をはじめ、うしろに並んで待っていた人たちがしくこちらに向かって手を振っているじゃないか!おおお!それで何とか値札を渡し、買い物が終了したのだった。面白いのは、こちらのスーパーのレジで待つ人は前の人が抜けようが、遅れようがたいして気にしないのだ。


それにしても、レジに迷っていたときだけは、手を振る女性店員や後ろで待つ人たちが、手招きするエーゲ海の人魚のように見えたもんだよ。



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